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【店舗情報】 http://www.gsi.co.jp/ CYNTHIA ROWLEY イリノイ州バーリントン生まれのシンシア・ローリーは、アーティストの両親のもとで育った中で洋服を縫うことを母から教わり、とりわけ彼女が個性的に好きな50年代から60年代のテイストはとてもおしゃれな祖母から大きな影響を受けました。家から車で2時間程の所に住んでいた祖母に会う度、いつも祖母の着ていたクールでキュートな服を見ることを楽しみにしていたそうです。今でもそれらの細かいディテールをはっきり覚えているそうです。 小さな頃から洋服を作ることが好きで、床に寝転がって自分で自分のトーレスをひき、生地を切って洗濯の吊紐でウエストを縛った服を毎日着ていた少女時代。 パフスリーブやベルボトムのパンツ、 Aラインのスカートなどは、すべて大きくおおげさにスリーブを膨らませたりワイドなパンツを作ったりしていました。シカゴのダウンタウンを車で約1時間北西に行った彼女の育ったバーリントンは、とても閑静で保守的な小さな町です。 そんな中で、シンシアのまわりのお友達は、”あの子ちょっとかわった子だな” といった感じを受けていたようです。大学はシカゴのダウンタウンにあるアメリカ国内でも屈指のアート・スクール、シカゴ芸術学院に進みデッサンと裁縫を学びました。 そんなある初夏の7月、大手百貨店マーシャル・フィールズのバイヤーがシカゴの地下鉄で彼女の着ているジャケットに目を止め尋ねられた事が最初のきっかけで、ファッションの世界に入ることになりました。 まだ、世の中を何も知らない女の子だったシンシアは、”あなたはデザイナー?”と聞かれた時に”はい。そうです。”と答えたそうです。 その日は金曜日、早速バイヤーから”あなたのラインを持って月曜日に私のオフィスにいらっしゃい”と言われ、”ライン”と言われた意味もわからずにその足ですぐに生地屋に駆け込み5着の服を週末にかけて作りました。 約束の月曜日に5着の服を持って行ったシンシアにバイヤーは、”このスタイル・ナンバーは?”と問いかけ、”・・・?これはナンバー1です。”、”では、これは?”、”これはナンバー2です。”そのバイヤーは、次の服を指差し、”これはナンバー3ね”と笑いながら、即座に5着の服を買ってくれました。 ”いくらですか?”と聞かれたシンシアは、”いくらで売れるのでしょうか?”と聞き返したそうです。 その時を回想するシンシアは、”きっとあの時彼女(バイヤー)は私がまるっきりの素人だってわかったわ”と肩をすくめながら恥ずかしそうに話しました。その5着の服は、2日間で全て完売。彼女は、”その後も、オーダーを受け配達まで、全て自分一人でしました。 小切手をもらった時に、”本当に恥ずかしかったから「ああ、私はもうビジネスの世界に入ったんだ。簡単な事なのね。」と思ったの。”と話しています。 大学最後のシニア・プロジェクトで創った8着の服。友達を代理にたててニューヨークのヘンリーベンデルに持っていきオーダーを受けました。 そんなシンシアが、ニューヨークへ移り住んだのは、本当のビジネスを始めるにはやっぱりニューヨークだと思い、U-HALLの大きなバンを借りてシカゴから一人運転してニューヨークへ旅立ちました。祖母からもらったミシンを積んで、奨学金の3千ドルと祖母からもらった千ドルを持って・・・。 幼い頃から洋服を創る事がただただ好きだった彼女は、小さい頃は、デザイナーという職業があることも知らず、ましてや服をつくるのはデザイナーだという事も知りませんでした。 ニューヨークへ移り住んでからのシンシアは、自宅兼オフィス兼ショップといった形で1983年の秋冬からコレクションを彼女の住まいで紹介していたけれど、今日に至るまでは時がゆっくりと流れていく中で、服作りを楽しむ事だけは幼い頃から変わらずにやってきました。 米国イリノイ州バーリントン生まれ
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