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フィンランドはロシアを挟んでお隣りの国、実は日本から9時間30分しかかからないヨーロッパで一番近い国です。ムーミンやサンタクロース、サウナやオーロラで良く知られていますが、四季の魅力あふれるやさしい自然とそこに住む人々が自慢の国です。 ●オンライントラベルガイド ●あなただけのフィンランドを見つけてください ●フィンランドの生活 クリスマス - JOULU 祭りの重要性は何世紀もの間に変わってきましたが、クリスマスと復活祭、そして夏至祭が一年のうちで最も大切な祝祭であることに変わりはありません。長いフィンランドの冬で、最も暗い時期に訪れるクリスマスは、家族や家庭を中心に祝う祭日です。クリスマスイヴの正午近くにフィンランドのかつての首都であったトゥルク(Turku)から全フィンランドに向けて、「クリスマスの平和」が宣言されます。これは中世の法律に基づいた儀式で、法的な意味はもう何世紀も前に失われていますが、クリスマスシーズンの幕開けの儀式として残されています。クリスマスサウナもクリスマスイヴのお祝いに欠かせません。日暮れになると人々は家族のお墓を訪れ、ろうそくを灯します。それから、家族で集まってクリスマスのご馳走を食べます。 イヴの夜がいちばん盛り上がるのは、サンタクロース(フィンランド語ではヨウルプッキ Joulupukki)が家々を回ってクリスマスプレゼントを届けるときです。明々と灯る、ろうそくや、藁で作ったクリスマスの飾りが、昔ながらのクリスマスの雰囲気をよみがえらせます。 都会でのクリスマスは、子どもたちの劇もあれば、慈善、商売、敬虔な祈りもあり、家族と過ごす休日に田舎の習慣が楽しく入り交じった行事になっています。キリスト教の伝統と民間のクリスマス伝承がミックスされているのです。例えば、クリスマス礼拝に出かけるのは、多くの家族にとってしきたりになっていますが、それはクリスマスのお説教を聞くというより、昔に思いをはせるためのことが多いようです。 夏至祭 - Juhannuspäivä 一年で2番目に大きな祭りは、クリスマスからちょうど6か月たって、いつ果てるともしれない冬の夜が夏の白夜にとって代わられる頃に訪れます。夏至の日に祝う夏祭りは、特に暗い季節と明るい季節の変化の大きい北ヨーロッパでは、キリスト教がやってくる前の時代から大切な祭りでした。フィンランドの北部では、夏至祭には太陽が一晩中地平線上に浮かび、北極圏の幻想的な美しさが頂点に達します。 フィンランドでは夏至祭は都会を離れた田園の中で祝われる祭りですから、町や都市にはすっかり人がいなくなってしまいます。この祭りを田舎の、できれば水辺のサマーコテージで祝う伝統があるからです。夏至祭の間、町を離れられない人たちは、白樺やライラックの花を市場で買ってきて、少しでも田舎の雰囲気を出そうとします。夏至の日、白樺の木の枝で飾り付けた電車やバス、路面電車なども見かけられます。 夏至祭の夜は、かかり火を焚いてクライマックスを迎えます。本来、かがり火はフィンランド東部の夏至祭の催しだったもので、西部地方でかがり火を焚くのは、伝統的にはキリストの昇天祭と聖霊降臨祭、オストロボスニア(Ostrobothnia ボスニア湾沿岸地域)では復活祭の土曜日に行なわれていました。今日では、フィンランド全土で夏至祭のかがり火が見られますが、海岸沿いのスウェーデン語を話す地域では、メイポールに似た花やリボンで飾った夏至祭の柱が代わりに建てられます。 以前は、どの村でもその村特有のかがり火を焚いていました。夏至祭が村の祭りだったからです。ところが現在では、大きなかがり火は公共の場所でだけ燃され、それを見るにはチケットを買って会場に入らなくてはなりません。水辺で燃え盛るかがり火に加えて、白樺の木が立ち、民族衣装に身を包んだ少女達がいて、頭上には青と白のフィンランド国旗がはためいているのが理想的な夏至祭の光景です。夏至祭は国旗の日でもあります。白地に青十字の旗が白夜の空に誇り高くひるがえっている光景が、国中いたるところで見られます。 復活祭 - Pääsiäinen フィンランドの復活祭は、他の宗教的な祝祭日よりも、強く宗教性を残している祭りですが、それにまつわる世俗的な行事も発達してきました。子どもたちは室内でお皿に草を育てたり、イースターエッグの飾りつけをして、イースターカードを作ります。1980年代には、子どもたちの間で新しい復活祭の行事が流行して、あっと言う間に広がりました。「棕櫚の主の日曜日」に、子どもたちがイースターの魔女に紛して、猫柳の小枝をもって家々を回るのです。この日にちなんだ特別の詩の文句をきちんと暗唱できると、ご褒美にお菓子やお小遣いをもらいます。 この行事は「ヴィルポミネンvirpominen」と呼ばれ、もともとはギリシャ正教の行事で、フィンランド東部の信者の人々にとっては、なじみ深いものでした。棕櫚の主の日曜日に、人々は柳の小枝で友だちや親類の人たちを軽く叩いて、健康と成功を祈るおまじないの言葉を唱えたのです。復活祭の日に子どもたちが田舎の迷信である魔女の格好をするのは、スウェーデンの子どもの伝統として、少なくとも1世紀前には文献に記録されています。 このように、柳を手にしたフィンランドの現代版イースターの魔女は、スカンジナビアの魔女信仰と東方のギリシャ正教のヴィルポミネンがミックスされたものなのです。このような現象は、東方と西方の伝統、あるいはキリスト教の慣習と民間の信仰が、フィンランドで融合している最新の例と言えます。 国民の祭日 - National holidays 19世紀には、工業化と都市化によってフィンランド社会に劇的な変化が起こり、それが暦にも反映されています。すでにあった教会の祝日や農耕に関連したお祭りに国民の祭日が加えられ、その結果、今日のフィンランドでは、暦に宗教的な祝日と国が定めた祝祭日の両方がのっています。今使われている暦には、公的な祝日は12日ほどありますが、教会の祝日でないのは、「ヴァップVappu」とも呼ばれるメーデーと独立記念日の2日だけです。 偉大な人物を称えるのは、19世紀のフィンランドの国民的ロマンチシズムの時代に欠かせない英雄崇拝の一部でした。フィンランド人は、国家としてのアイデンティティを確立しようとする中で、それまでの外国の王や皇帝に取って代わる自分たちの英雄を求めてきました。はじめに国民的な英雄になったのは、詩人のユーハン・ルードヴィーク・ルーネベリ(Johan Ludvig Runeberg)で、続いて「カレワラKalevala」を編纂したエリアス・ロンルート(Elias Lonnrot)と、フィンランド人の国家意識に貢献したJ. V.スネルマン(Snellman)が加わりました。 1800年代には、ルーネベリ記念日は一種の国民の祝祭日になっていて、学校での行事やたいまつのパレードなどが催されていました。このような祭りは家庭にも浸透し、その日には家々の窓にろうそくが飾られました。これはすでに18世紀から、暗い冬の季節の祝祭日に習慣として行なわれていたものです。フィンランドが1917年に独立すると、12月6日の独立記念日に家々の窓にろうそくを灯して祝うようになりました。 フィンランドの国民の祝祭の中で最も際だっているのが独立記念日です。大学生によるたいまつパレードなど各種のパレードが行なわれ、表彰メダルが贈られたり、祝賀会などが開かれます。独立後の数十年間は、この日は愛国心を高める演説や教会での特別の礼拝などが持たれる厳粛なものでしたが、1970年代以降は、楽しい生き生きとした祭りになってきました。商店では国旗の色の青と白にショーウインドーを飾り、パン屋さんは青と白のデコレーションケーキを焼いたりという具合です。今日では、ロックスターや芸能人なども、立派にフィンランドの愛国精神をつたえる人々と見なされています。 母の日と友情の日 - Äitienpäivä ja Ystävänpäivä 西欧諸国の母の日は、家族としての行事と商業主義的な面が一体化してしまっていますが、フィンランドでは他の国々と異なり、国民的行事として尊重されています。すべての母親に捧げる日という考えは今世紀の初めにアメリカで始まり、まもなくヨーロッパに広まりました。独立後のフィンランドでは、最初に母の日のお祝いを組織したのは小学校でした。5月の第2日曜日にすべての母親が学校に招待され、花束を贈呈されて、子どもたちの演技などでもてなしを受けたのです。1918年の母の日は特に重要な日でした。独立直後のフィンランドの内戦による、何千人もの戦争未亡人を賛える日として、祝われたのです。1919年には、母の日の祝賀会が全フィンランドで組織されました。 第二次世界大戦は、母の存在を再び国民に思い起こさせる大きな悲しみをもたらしました。1946年以降は、栄誉ある母親に勲章が授与されています。この式典には、大統領が自ら参加し、厳粛にとり行われます。ただ近年は、この日の意義について国民の心が徐々に遠退き、母の日への関心はピークを通り過ぎたかの感があります。 祝い事の中心としての家族の役割が減って、代わりに同僚や仲間の方が重要になってきています。年代ごとのグループや、職場の同僚、共通の関心を持つ人たちの集まりなどは、自分たちの特別の日を決めています。1980年代の終わりごろ、バレンタインデーが「ユスタヴァンパイヴァYstavanpaiva」、つまり「友情の日」という名でフィンランドの暦に載るようになりました。そして、いろいろな団体による宣伝のおかげで急に人気が広まり、この日には健康や慈善など健全な精神を広めるといった目的まで加えられています。この数年、フィンランド郵政省は続けて人目を引く「友情の日」キャンペーンを行ない、特製のカードや記念切手を発行しています。この日は特にこどもたちの間で人気になりましたが、あまりに商業的すぎるという批判も出ています。 "ヴァップ" - Vappu ほとんどのフィンランドの祭りには、外国の祝祭日のパターンが見え隠れしていますが、このような外国の影響も、時間がたつにつれてフィンランドらしい伝統として定着しています。そのいい例が”ヴァップVappu”つまりメーデーです。フィンランドのヴァップは、国際労働運動の日、ヨーロッパの伝統的な春祭り、スカンジナビアの学生たち慣例の春のどんちゃん騒ぎ、現代的な街のカーニバル、そしていかにもフィンランド的な酒盛りなど、いろいろな要素が混在しています。このようないろいろなものが織り交ざって、フィンランド的な庶民的で賑やかなお祭りになっているのです。ヴァップの日には、たとえその日に雪が降っていたとしても、フィンランド中で春がやって来たと祝杯をあげます。(注:フィンランドでは一人一人名前の日があり、5月1日は女性名Vappuの日に当たります。) 執筆者:シルパ・カルヤライネン(Sirpa Karjalainen) ヘルシンキ大学民族学助手 ●今週のこぼれ話
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