投稿者: une 日時 1999 年 12 月 23 日
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皆さん結構コーディネートの仕方を質問していらっしゃいますが、 ネクタイの結び方など昔からのやり方があって礼儀どうこうに関係することについてたずねるのは別に不思議に思わないのですが、なぜ色やアイテムの組み合わせ方をたずねるのかわかりません。 雑誌等には絶対NGな組み合わせなど例をあげて書いてあったりしますが、本人が良ければOKなのではと思います。 |
ファッションとは自己満足の世界である。
にもかかわらず、他人の了解を気にするのは何故か?
それは、ファッションにおける自己満足とは、他人の了解の上に成り立つ
ものであるからだ。
「本人がよければOK」といっても、それは誰かが(万人とはいわない)彼のファッシ
ョンを認めてくれることを前提としての「OK」なのである。
「違う」というのなら、ここで思考実験をしてみよう。あなたが考えたスタイルを世界
中の誰もが認めてくれないとしよう(そんなことはありえない、と言わないでくれ。こ
れは、思考実験なのだから。)
さて、それでもあなたはあなたが考えたそのスタイルをあえて続けることはできるのだ
ろうか?
ファッションにおける「カッコよさ」とは主観的なものだ。それにもかかわらず、
「カッコよさ」は、普遍性を必要とするから不思議なものである。つまり、「カッコい
い」ということは、単にアナタにとってのみ「カッコイイ」ということではなく、
多くの人の妥当を要求する。
「カッコヨサ」の基準については、多くの人が様々な価値判断をもっているため、「妥当」
の根拠はないように思われる。にもかかわらず、多くの人が「妥当」の一致を求めて
語り合うのはなぜなのであろうか?
できる人はいくらでもいると思います。
その人のスタイル自体は誰からも気に入られなかったとしても、そのスタイルを貫いている姿勢は意外と多くの人から支持されるんじゃないですか?
さぶっちさんの言う「思考実験」(おおげさな・・・)の中に「認められない」というのがありますが、これにはたぶん、「馬鹿にされてる」場合と「理解されてない」場合があって、前者だったらちょっとヤバイんですけどね。後者なら全然OKでしょう。
「意外と多くの人から支持されるかもしれない」と期待した時点で、既に他人からの
了解を前提としているように思えるのですが、いかがでしょうか?
「いやいや、それは主旨が違う。本人は最初からそういうもの(他人からの支持)は期
待していない。まわりがたまたま支持しているだけだよ」
とおっしゃるかもしれませんが、実際問題として他人からの支持を全く期待することな
しに独自のスタイルを貫くという姿勢は私には理解できません。
どんなに難解な思想や芸術でも発表するからには、他人からの支持や共感(それがたとえ
ごくごく少数であっても)を期待しているわけでしょう?
そもそも他人の支持が全く期待できないものをファッションと呼んでいいものなのでし
ょうか。
・・・・・あれ、待てよ。ファッションという言葉の定義(※)からすると確かにそう
なんだけど、琵琶湖マッサージさんはスタイルを貫くことについて語ろうとしている。
「自分のスタイルを貫く」ことがすなわちファッションなのか、ということについては、
今後いっそうの検討が必要ですね(笑)
っていうか、俺も何がいいたいんだったかわからなくなってきた(苦笑)
全然推敲せずに書きっぱなしなんで、わかりにくくてスイマセン。
※ 辞書ひいたら「(特に服飾についての)流行」って書いてる。そもそもファッショ
ンという言葉を使ったのがいけなかったのか・・・うーん。
自分のスタイルにこだわるという姿勢は「ダンディズム」と言われていたと思います。
つまり周囲を意に介さず己の美意識に基づいた振る舞いをする姿勢です。
いくらダンディズムが他者の同意を求めないとしても、
そこには他者とは一線を画しておこうという意図があり、これから逃れることはできません。
自分のスタイルを貫く、といえども、たまたまそのスタイルが流行してしまったら、
恐らくダンディズムの人はこれを嫌いスタイルを他者とは異なるものにするでしょう。
ファッションの世界ではあらゆるスタイルが相対的なものであって、
絶対的なものなど存在し得ません。
流行に対していかなる姿勢をとろうと、それは一つのスタイルとして流行に呑まれてしまう
可能性を常にはらんでいます。
これはファッションにおける個性と流行の永遠のディレンマだと言えます。
従って、この世界において最も「お洒落な」人は、
無節操なまでに新しいものを先入観にとらわれることなく自分のものとして取り入れて
いくひと、だと私は思います。
しかしファッションの世界の掟として、これも一つの「スタイル」だ、
と言えそうですが、こういったより抽象的な意味での「スタイル」は模倣、即ち流行の
対象とはなり得ないと思います。
ファッションは広義のコスプレである、というようなことが言えるかもしれません。
(私は結構鷲田清一の影響を受けていそうです。)
ファッションとは自己満足の世界である。
にもかかわらず、他人の了解を気にするのは何故か?
それは、ファッションにおける自己満足とは、他人の了解の上に成り立つ
ものであるからだ。
「本人がよければOK」といっても、それは誰かが(万人とはいわない)彼のファッシ
ョンを認めてくれることを前提としての「OK」なのである。
「違う」というのなら、ここで思考実験をしてみよう。あなたが考えたスタイルを世界
中の誰もが認めてくれないとしよう(そんなことはありえない、と言わないでくれ。こ
れは、思考実験なのだから。)
さて、それでもあなたはあなたが考えたそのスタイルをあえて続けることはできるのだ
ろうか?
ファッションにおける「カッコよさ」とは主観的なものだ。それにもかかわらず、
「カッコよさ」は、普遍性を必要とするから不思議なものである。つまり、「カッコい
い」ということは、単にアナタにとってのみ「カッコイイ」ということではなく、
多くの人の妥当を要求する。
「カッコヨサ」の基準については、多くの人が様々な価値判断をもっているため、「妥当」
の根拠はないように思われる。にもかかわらず、多くの人が「妥当」の一致を求めて
語り合うのはなぜなのであろうか?
ここって解らないことを聞くHPじゃないの?ファッションに興味持ちたての素人さんからもっと他人の意見を聞いて極めようとしてる常連さんまで知識の交換をみんな楽しくやってるんだから良いんじゃない?本人が良くなくてOKじゃないからみんな聞いてると思うんだけど。自分に自信あるんだったらだまっていれば。