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脱いでしまいたい、あるいは、服そのものへ!

小野原教子

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Vol.1 シンプルだけど基本的なこと (2002,2,16)


わたしはイギリス時を入れれば4つの大学へ行き、また企業で働いた経験もあるし、院生時代はいろんな仕事をしたから、履歴書を書くとほんとに嫌になるほど長くなる。年齢を考慮してもこれは長すぎ、と作成していて思う。そのせいか、自分がどこそこに属しているというアイデンティティ意識というものが希薄である。もともと自分の家族関係が近代的家族のそれではなく、両親と子供たちのなかでの役割が非常にフレキシブルで、ヒエラルキのきつくない家庭だったと思う。簡単にいえば、父は家事をなんでもやっていたし、母は定年まで働いていた。わたしは姉だったけれど妹のようでもあり、その時々を通してみんなの役割が固定化せず自由に動き、趣味などを通して家族がみんな友達のようでもあった。それも関係していると思うのだが、とにかくいろんなことをしてきたので、いつも今のポジションはずっと続かない一時的な場所という感覚が強い。帰属意識が薄いのだ。よくいえば風通しがよくて自由、わるくいえば根が張れないのでふわついている、となるのかもしれない。

わたしは英語教員だが、テキスト選びの際にファッション研究者である自分の専門を取り入れる。今年は必修科目を二種類もってそれぞれ二クラス合計四クラスを担当していた。年度末なのでいまは成績をつける時期にあたっている。テスト期間中に一度だけテストをするのはもともと自分の好みでなく、出席は学生の自主性にまかせ普段出席をとらない授業の場合、それでは授業参加の貢献度が測れないので、普段コンスタントに提出物を出させることにしている。今年は二種類の授業で半期にそれぞれ4種類、5種類の課題を出した。それが出ているかチェックしてその中身を読み、最終評価をするのだ。わたしは整理整頓が苦手なので、成績をつけるためにはまず4クラス分の課題を集めるところからスタート、そしてそれを整理してからいよいよ採点となる。気の遠くなる作業をやっていてそれがやっと終わった。大学では仕事がはかどらないので、結局家に持って帰って紙の山になりながら成績をつけていた。

学生の書き物を読んでほほえましく、やっぱり学生がかわいいと心から思う。大学人は、研究者、教育者、そして組織の一員としての仕事、の三つを要求されるけれど、冒頭にも書いたように個人プレイが一貫した自分のスタイルであるわたしは、三つ目の仕事が不得手で、着任してから疲れきっていたが、成績をつける作業が教育者としての自分を取り戻す作業でもあった。それでとても前向きになれたのだ。


Readingの授業ではテキストに、Sex and Suits, Anne Hollanderを用いた。『性とスーツ』で翻訳も出ているので興味のある人はぜひ読んでみられたらいいと思う。ちょっと変わった西洋服飾史としても読める。その授業の最後の提出物で書かせた「身体とセクシャリティ」についてのレポートはとてもおもしろかった。有意義な授業ができたかは自信はないが、この1年間学生に服飾史を読ませることで、自分の性や社会的身体を含む体について意識づけられたことは、とてもよかったと思えたのだ。とうとう最後の授業で、女子プロレスのヴィデオを見せてしまったが、それもそこに効果をあげたと知ることができる。テキストのいくつかの部分と関連づけてそのヴィデオ映像を観ることによって考えを深めて欲しいと思い題材に選んだ。なによりプロレスマニアらしき学生もいて、彼らのレポートもまたおもしろい。「今度機会があれば、プロレスの本当の厳しさを教えるために「天龍と神取」の試合を用いるのはどうでしょうか?」って、あんた、プロレスの厳しさを教えるのは、ちょっと英語の授業では無理やわ。。。わたしは、男らしい女(神取忍)の二種類の試合を見せたのだ。「男らしい女」が「男」と組み合うとき、「男らしい女」が「女らしい女」と組み合うとき。これは授業の総括的な意味もあった。そしてレポートを書かせたのだ。

授業にあまり出てないらしい課題の数が極端に少ない学生のレポートにもおもしろいものがある。こういう出席しないけれど熱いレポートだけは出す学生というのは、自分の学生時代を思い出させてある意味複雑な気分だ。しかしわたしに新しい発見を起こさせてくれるのは、実はこの学生のレポートだったりする。戦闘服についての考察を彼はしていた。授業で戦闘服についても触れたのだ。

張った肩、厚い胸、剛健な太股、大きく見える体、身体の部位を意識し誇張したような戦闘服は、西洋服飾史上の発展に大きく貢献した。戦争に出るのは男性である。敵からの攻撃に耐え、強さを表現するだけでなく、戦闘服は男性の理想的身体の象徴でもあるのだ。極端にいえば、どんな体型の男でも戦闘服を着ることによって、男らしさを着ることができる。テキストに関連付けたところで授業中わたしはそう話した。その学生は自分のレポートのなかに、「それだけではないと思います、敵か味方を見分けるための機能も服にはあるだろうし、攻撃の際は動きやすさや重さを回避できるようなデザインも必要なはずです」と書いている。また発見となったのは、「人間の体は歴史のなかでそれほど変化をしない、けれど服はこの数千年、数百年で、大きくかわったのを知った」という主張だった。服と身体の関係を中心に1年考えてきたが、この当然のことにも思えるシンプルだけれど基本的な考えは、感受性が強く洞察力がなければそう簡単に出てくるものではない。わたしは感心していた。

勉強は自分でするものである。また、英語という言語を目的ではなく、ものを考えるための言葉として、ある意味手段としてわたしは捉えている。詩を書く自分が一番経歴として長い人間がいうのも変なのだが、英語学や英文学を専門にしていないわたしは、目的としての英語という言語は教えたくても教えることはできないと思っている。現代のメディア環境ならなおさら、世界で主流になりつつある英語を、言い方は悪いが単なる言語の一つとしてとらえ英語教育に携わっている。服や音楽などの身近な話題を通して、英語という外国語への抵抗感をやわらげ、考える道具として英語を捉えて欲しいのだ。そのような考え方を持っているわたしは、このような学生の答案を読むことができとても幸せだった。合計4クラス分で9種類だから、すごい数の書き物を一日で読んだのだが、成績評価を記入する頃には、気持ちが軽くなっていた。

セルジュ・ゲンズブールのCDを3枚、何度も繰り返しながら採点していたのだが、その仕事は格闘だけれど、教育者であることの喜びを感じることができた。それは、研究者としてやっと9年、いまでも自分は一番に研究者でありたいと思うが、3年足らずの教育者としての自分も、確かににいたことを実感していた。組織人にはたぶん一生なれないような気もするけれど、どんなことがあっても、わたしは学生を盲目的にかわいいと思ってしまう自分を思い出していた。

組織のなかで賢く生きるのが下手な自分に1年間悩んできたけれど、就職してよかったと思えた。「人間の体は長い歴史のなかでそれほど変化をしていない、けれど服はこの数千年、数百年で、大きく変化し発展している」。これを教えてくれた学生の存在は、わたしにそう心から思わせた。

2002,2,16

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