今年はみなさんはどんな年でしたか。年々一年が速く過ぎ去っていくようにかんじています。いろんな人や物がなくなってしまったことへの祈りと、繊細にして強靱に咲き続けるものへの賛美を抱きながら、わたしのそばにいたものや、お気に入り、影響を受けたものなどについて並べてみます。
来年もすべての人に正しく光があたりますよう、わたしの文章を読んでくださっている人々にとって新しい年が佳いものになりますように。ありがとうございました。
本
今年の林芙美子はこれ。お風呂でつらつらと長い時間をかけて読む文庫。手紙の形になっており、詩がはさまれ、手書きのイラストあり、女も戦争を生きることを女の体で表現する。
今年著作権が切れたということで、自分で翻訳しようかなあと原語版とこの英語版とのにらめっこ。美しくて朗読にぴったり。愛すべき花の弱さと強さ。
去年亡くなった修士時代の指導教官の註を片手に読み直す。童話として日本語でも読まれてるがとんでもない。恐ろしく寒い物語だが心が澄んでくる文体。わたしのなかのプリンス・ブームの終結。
CD
新しいバランス。メロディの実験。クリスとアナの美しい声にオルガンやヴァイオリンのノイズがジャックされまくる。過激な静寂。
これまでまったく無視していた1981年のこのグールド。とてつもなくゆるやかなバッハのアリア。いつまでもつかってふやけてしまいそうだった。
上記の二枚の他、気付くと再生してたアルバム。このCDいつ買ったのかよく憶えてないけど、意味がわからないドイツの言葉ではじまり、彼女の名がアナウンスされるのを聞くたびに、ああ帰ってきたという気持ちになる。ライブ音源。
映画
ジェンダー・クロッシング、異性装、北アイルランド問題、ロードムーヴィ。早く訪れる夜のために、家に閉じこもる生活を続けていたが、住んでいたフラットのそばの映画館へ気晴らしに見に出掛ける。その週末、ブライトンへ行く列車のなかで、好演していたキリアン・マーフィという俳優のことを教えてもらう。ハードなロンドンの留学生活のなかで、いつも助けてくれたのはアイルランド出身の友人たちだった。そして同性愛主義者の友人たち。彼らはマイノリティであり、やさしい目ときびしい目を両方持っている。自由について考える。おかしくてせつない映画。
軍人の娘であった母は「世が世で、わたしが男なら、国のために命をかけて闘う」と熱く語り、チェチェンや中東などの少数民族事情に詳しい。わたしはこの映画を「ファッションーきること、ぬぐこと、じゆう」という論文執筆のために、封切りと同時に早起きして見に行く。一瞬の隙も与えないドキュ・ドラマの緊張の糸は映画が終わっても切れることなく、映画館を出て呆然としていると、次の回の開場のために待っていた父がいた。カフェで仕事をしながら父を待つことにし、夕食を一緒に食べ、連れて行ったもらった古本屋では、アイリッシュバンドのライブの真っ最中だった。そのまま実家へ帰ると、郵便受けにアイルランドの詩人について夏に書いてた文章が刷り上がり届いていた。
70年代から2000年までに撮られた8mm映画。審美眼も道徳観もちゃんとできていない頃にこんな映画を見てしまってたらどうなってただろう。この麗しき毒。もしリアルタイムで見ていたらわたしはたいへんなことになってただろうなあ。ほんとのアングル、あるいはアングラ。作品のクレジットなどはこちら:「実録猟奇娘 激突!蛇婆ァ」(1977)「実録猟奇娘 走れ! ロマンよ」(1983)「東洋の怪人・二〇加王襲来」(1987)「新実録猟奇娘・オクトパスよ永遠に」(2000)
ライブ
通天閣のふもと、近くに住む着物の先生とドライブ中、急遽お誘いし、出掛ける。音怪物の談合といったかんじだった。
春に大好きな緑の団体の試合に連れていってもらったお返しに、プロレスの先生を招待し、出掛ける。サムライがテーマのセッションということだった。
ボジョレヌーヴォー解禁日、わたしの酩酊の先生を誘い、出掛ける。これまで行った山本精一さんのライブのなかで個人的には一番よかった。
展覧会
欧米人によって収集され陳列される着物という視点から見て興味深かった展覧会。
心に残る作品がたくさん。姫路城をバックに和装で出掛ける。調律される音のような絵。
本を読むということはうしろめたくて孤独なことなのではないか。期間限定の古書店。
(2006, 12, 26)

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