No.5 (2008年1月)
1月某日 いっちょうらです
毎年のことだが、お正月、実家は近くて遠い。いやしかし今年は、と、段ボール箱に本をたくさん入れて宅急便し、年末から大阪に帰ることにした。いつもは大晦日に詩賀状(年賀状用に詩を新しく書き下ろす)を用意して、年明けて宛名せっせと書いて出して、おせち料理にありつきたい、で、帰郷というパタンだが、今年は詩を断念。休むことに集中しようとやっきになっている。正月休みをゆっくりしながら、届いた本で仕事しようと思い。
恋と空という文字が結構似ているなあ、などと思いながら年賀状のこと気になりつつの大晦日、実家に帰るからと言っていたから、年末のタイガースの会でデイリーの写真記者に撮ってもらった写真をタッグパートナーが大阪に送ってきてくれる。引き延ばされてて、かなりでかい。上園投手(黒いスーツ)、わたし(黒いスーツ)、タッグパートナー(黒いドレスに赤いストール)。地元の商店街の小さなカメラ屋が「一日で作ってくれる」というから、写真と葉書を一緒に出し、薄緑の鼠が付いた文例を選び、刷ってもらうことにした。最初で最後の写真付き年賀状。
宛名は手書きで、一言メッセージくらい書こう。「結婚しました」ー3人で?違うしなあ。左から、タイガース期待の新人ピッチャー、わたし、神戸の友達、と吹き出しでも。黒いスーツは、5年前、NHKに出るかも(結局撮影したがお蔵入り)ってときに買ったヴィヴィアンウエストウッドの、カット&スラッシュ時代のデザインを施しているもの。着るのは二回目。「いっちょうらです」「さて、わたしはどれでしょう」など色々と文言考えてると面倒になってきて、これなら詩書いた方がよかった。
1月某日 終わりまで弾かせてよ
親戚が毎日のように入れ替わりでやってくるのでホステスをがんばることにする。
おせち料理はすでに山のように出来ているし、わたしと母が一緒に台所に立つと絶対に喧嘩になり、「もう、あんた、どっか行っとって」となるので、調理場で手伝いたくてもやらせてくれない。いったん何かひとつ担当したら、自分のやり方で最後まで仕上げたいよね。お吸い物作るなら、醤油の量、具材を入れるタイミング、どのお椀にどのくらいの量入れるか、とか。やりたい、やらしてよ。洗いものの仕方でも、なんでも、盛りつけでも何でも。お皿選びでも何でも。わたしは主婦歴ゼロ年だが、主婦歴長い妹の場合、基本的に実家では手伝わないし、頼まれても母の言う通り言われるまま行うので、台所で仲良く楽しくやっている。自分の方が料理がうまい、とか、母を信用していない、とか、そういうわけでは全然なくて、ただ、やるなら全部自分でやらしてよ、なだけなのだ。
まあそんなかんじで新年は明けていき、放映当時は数回か見たことあったが、玉木宏くんの指揮者が可笑しくて格好良いので、「のだめカンタービレ」の一挙再放送と新年のパリ編を、明けても暮れても見てしまい、録画してくれた父が苦心してコマーシャルカットまでしDVDに焼いてくれたので、また二回目を全部見たりして、完全にはまってしまい、「のだめ」のせいで何もできなかった。
1月某日 贈り物から
寒々しい神戸にひとり戻り、送られて来た年賀状を読む。この時しか連絡し合わない人もいるから、なかなかやめられない年中行事。「年賀状は贈り物だと思う」ー民営化した郵便局のコマーシャルで言うてたのは誰やったかな。坂本龍一?BGM担当やったかな。あと、父にも届いていたが、わたしにも吉永小百合さんから年賀状が届いていました。お返事、どちらへお送りすればいいのかしら。あとブルーベリー?やったかな、全然知らないが会社だが、ご丁寧に。わたしがブルーベリーヌと呼ばれていることもご存じなのかしら。
冗談はこんなとこにしといて、届いた賀状で印象的なものを少し紹介。著作権とか大丈夫かな。すみません。
泣きました編 「立っていられなくなったら、一度、倒れてみる。」
東京にいる旧友コピーライターより。いつもでかい文字で一文だけ送られてくる年賀状。めまい気味のわたしにはじんときました。
温かい助言編 「氷コーヒー飲み過ぎて体冷やさんようにね」
会社時代の同期より。去年の冬、何年ぶりかでOL時代の友人達と会った。待ち合わせ前は高槻のミスドに行ってて時間に遅れたので叱られ、帰りは皆で車降りたら途端に見つけて歓喜し、解散後は茨木のミスドに直行。わたしが氷コーヒーを一人飲んでいたことによる。
驚きました編 「マルタ共和国へ(中略)渡航致します」
御殿場の友人より、なにかやらかしてくれるとは思ってたけど、まさかそんなところ(どんなところ?)に働きに行くとは、がんばってください!
うれしかった?編 「呪文のように手品のように詩を書かれると思います、あこがれます」
ずっと年上の詩人、同人誌で一緒の方より。「呪文」が少し気になりますが、まあいいですよね、今年詩賀状を準備できなかったので、それでやや後ろめたい気持ちにもなる。
え、そうなんですか編 「ヤンキー文化研究会(地下活動)は今年も細々と続けていこうと思ってます」
2月にスピーカーで呼んでもらっており、久々に上京!できると思っていたのに、入試業務が入り、あえなく辞退。しかし、地下活動って、、わたしの予定していたテーマはそういえば「露莉威詫」(ママ)についてでした。
答えがわからない編 「ネズミにチーズ、パンダにササ、ヒトには xxxx ?」
ずいぶん前に一度お世話になった大好きな編集者の方より。京都で会いましょう、を合い言葉に何年過ぎたかなあ。今年こそ!さて、クエスチョンは4文字のようですが、何を入れるべきか。食べ物でいいのかなあ、わたしには、xxxx....
1月某日 なかなかの強敵
学生が貸してくれた小説を読み終わる。その学生を教えている授業の新年一回目が近付くので返却せねばならない。おもしろいから一度に読み終わるのが惜しくて、何度かに分けて読んだ。個性的な雑貨屋が舞台で、ややわかりにくい女の子(わたしのようだ、と思う)が主人公。彼女は話すのが苦手だが、書くと止まらない。同じ小説家の本をわたしも持っていたので、わたしも一冊貸す。赤い本と青い本の交換。わたしはゴールド(しかしもはやシルバーみたいになってしまった)のヴィヴィアンウエストウッドのシールリングをいつも身につけているが、彼はあこがれのアーマーリングを身につけている。ナックルリングやったかな?雑談でよく音楽の話になり、わたしが大人げないのかもしれないが、感性も鋭く知識欲も旺盛な彼はわたしのライバルである。
1月某日 闇の中へも風は吹いて
年末から実家に宅急便した本20冊。結局一冊も一頁も開けなかったが、連休でそんな冬休みの宿題をやっている。10月から取り組んでいる編集作業で、11月は順調に進んでいたが、12月は手をつけることができず、年内が無理だったので、1月中になんとかしたい。仕事は贈り物のようであり、光の浮揚、酢い記憶、言わない、教えてね、と展開していく。文体を損なわず、そして黒のロジカルに、わたししかできない編み物を、と思い取り組む。本年度中にあがって来る論文一本、あとのびのびになってた共著の校正、本年度中に仕上げないといけない論文一本、催促があり思い出し、催促が来ない別の一本も思い出した。近々散文詩も書下ろさねばならず、個展用にと頼まれているがまだ作品見せてもらってないので、これまたぎりぎりか。久しぶりに指導教官から電話があり話しこむ。研究室の就職状況は思ったよりも厳しいらしい。映画の好きな指導教官と映画の話になるが、秋から映画一本も見ていないことに気づく。夜の空は雲に覆われているが風で少しずつ流れている、晴れている小さなブロックは闇だがそれは仄明るかった。
1月某日 「なりたい」古本屋
18の頃からお世話になっている神戸の古書店、後藤書店の最終日。閉店を聞かされたのは11月、神戸在住の画家戸田さんと喫茶店で珈琲を飲んでいるときに教えてもらう。年明けから異例のセールをするという。ああ、さみしい。阪神大震災の後神戸に長いこと出掛けられなかったのと同じような気持ちで、なかなか足が向かない。数ヶ月そんなかんじで過ごして、欲しかった本が残っていたら、と思い、出掛けることにする。
大学時代、神戸の女子大に通っていたが、わたしは授業にろくに出ずに図書館(通称旧図書館と呼ばれる、古い本が多くて天井の高い美しい建築物の方)で本ばかり読んでいた。いまでこそ「服を着ることと詩を書くことはわたしにはおなじです」とか「現代ファッションを研究しています」などと言っているが、当時は受け入れ先のゼミが決まらず先生をたらいまわしにされたり、自分は「言葉とは何か」ということを突き詰めて考えているつもりだった。自分の学問的興味が大学というシステムのなかでは受け入れられないのかと絶望しかけていた。そんな若いわたしには、旧図書館以外に逃げ込める場所は古本屋で、後藤書店はわたしの先生でもあった。
通いはじめた20年前からあこがれだった古い詩の雑誌でまだ自分が持っていなかった巻を見つける。そして自分の現在の研究の興味である近現代の服装文化を扱った貴重な本を見つける。後藤書店が先生であり続けた理由は実に色んなジャンルを押さえていること。美術書や文学書もそうだろうが学術書にとって古い資料となる本がいまここに手をのばせばある、ということは、探究心を持ち続けていく上での支えになる。昔は洋書が高くて買えなかったし取り寄せるのにも時間がかかったから、2Fの洋書売り場はお金もなくて研究者を志しはじめたわたしには本の在処を知る事だけでも心強かった。
本を抱えてレジに向かうと、いつもは見かけないが閉店を惜しむ客で賑わう店を助けているらしい女性の店員さんが「たくさんありがとうございます。本が、いろいろですね」と言ってくれる。おもわず押さえていた感情がこみあげそうになり、「いつも後藤書店でいっぱい勉強させてもらいました、とても残念です」というのが精一杯。いまではもう遠い昔のような、すねたように思いつめているわたしと、気難しいけれどやさしかった恋人との待ち合わせの場所でもあった。詩人という仕事、研究者という職業、あこがれのために勉強する、わたしには語り尽くせない「なりたい古本屋」の閉店。(結局5000字くらいのエッセイにまとめましたー近刊『樂市』62号)
1月某日 紫の似合う女になれ
友人の水墨画展があるので、またまた乗りで(ほんと乗りやすい)、搬入の手伝いと個展用の詩を書き下ろすことにする。タイトルまで付けるのを手伝ってしまい(思いつきで言うたら、それいい!とかそんなんで)、まあ、もう、詩はええですよね、とかなんとか言って逃げようとしつつも、乗った舟が風に乗って進み出しているように、結局書いた。
水墨画といっても、なんだか変なのですよ。すべて蛙が描かれていて、それがとても愛らしかったりするのですよ。小さな蛙が赤ワイン飲んで酔っぱらってたり、カリンバを弾いていたりするんですよ。彼女自身はふだんタンゴを弾いている人ですが。わたしは、見つけて欲しいかくれんぼ、をテーマにした詩「霞に遊ぶ」を書きました。神戸の北野坂にある Galley Corot という、個性的な木のにおいに包まれた良い処でした。
後日二人だけの打ち上げをする。差し入れにもらったという上等そうなシャンパンのロゼ。おつまみは変なのだがこれがよく合う「元祖ボール」(触感がなんともたまらず止まらない、鶯ボーロににているお菓子)。亡くなったおとうさんからいつも「紫の似合う女になれ」と言われて育ったのだという。詩以外での小さなお祝いにと紫色の蛙の指輪をプレゼントしたら、そんな話をしてくれた。「少女」でも「女の子」でもなく、紫の似合う女性はやっぱり「女(おんな)」なのだ。